【解釈備忘録】君たちはどう生きるか

【   君たちはどう生きるか (2023.7)宮崎駿監督作品⠀】

7月19日、仕事帰りに鑑賞。

※この文章の一部はFilmarksに載せています。

 

★もしも観る前にこのクチコミを読もうとしてるなら、先に映画を見た方が良いです。誰かの意見で見方に先入観が作られる前のまっさらな状態で受け取ったもの、その中から自分なりに考えてみることが醍醐味の映画だと思うからです★

 

さすが宮崎駿さん、と思った作品。

特に今回は視聴者にあまり配慮してない(笑)

ポニョくらい分かりづらい気がする。

主人公の心情変化、やり取りされる言葉の持つ意味、何気なく見えるそれぞれの振る舞いから読み取って行くのを頑張りましょう。

 

群衆描写が多く、アニメーターさんの苦労が忍ばれます笑

大変だっただろうなぁ…お疲れ様でした。

 

ジブリらしいというよりは、駿さんらしい出来上がりだったように思います。

中身の解釈について、各々受け取るものがあると思いますが、駿さんが「母」や「海」や「鳥」「空を飛ぶもの」をどう描いてきたかを思い出すとヒントになるかもしれません。

以下は具体的なネタバレと私なりの解釈です。

 

 

■前提の世界観
今回重要なのが、塔の向こう側にある「不思議な世界」の世界観。
あの世だとか地獄だとか作中で言われつつ、基本は死後の世界・産まれる前の世界であり、死んだ何かとか産まれる前の何かの魂だけ存在しているような世界。
生きているものは、うっかり迷ったキリコさんとか呼ばれちゃったヒミ、死にかけてるけど死んでない何かだけ。
基本的には、命がないもの達の方が多い世界。

いわゆる冥界、あの世、魂の世界。

で、死後の世界と現世の色んな時間軸が石の塔の中の時の回廊で繋がっている。

キーウィぽいインコ(作中ではお父さんにセキセイインコと断言されていた)とペリカンが現世に出てこれたのは、絶滅しかけたけどまだ絶滅してない(種として死にかけたけど死んでない)からで
海にいたシーラカンスぽいデカイ魚が「生きてる」枠で出てきたのはシーラカンスがまだ絶滅してないから?と考えられる。
たぶん若キリコが住んでたあのでかい船も有名な沈没船だったりするのかも。
わらわらが食べてたのはシーラカンスの内蔵(内蔵食べると飛ぶエネルギーになる)なのは、内蔵が命そのものだから?(ヒレや肉は欠けても生きられるけど内臓欠けたら死ぬから)
赤ちゃん=新しい命=不可侵、殺してはならぬ
だから、わらわらが人間の新しい命として生まれるために、内臓≒赤ちゃん を食べた、という解釈は私はしっくり来ないな

 

ここまでの世界観から、本作の大きなテーマが生死に関するものなのは間違いない。 (タイトルでも生き方について問いかけられてるけど)

 

そして特徴的なのは、この世界は宇宙からきた石と大叔父様の契約によって、大叔父様が望む形に作ろうとした世界だと言うこと。

世界の形を選んだのは大叔父様のようだが、世界は生きているため時間が流れコケも生える。

石の意志により特定の場所は石により拒絶されたり取り込まれかけたりする。石は特に聖域とされる場所で力を表し、そのうちの一つ、産屋に入るのは禁忌と言われるシーンもあった。

石が何なのかはよく分からない。ただ大きな力を持ち、意思を持って大叔父様と交渉をしている。

塔のあちら側の世界が壊れる時、誰かが「星が割れる」と叫んでいた。


この世界の成り立ちから、塔の向こう側の世界が何を暗喩しているのかで、映画全体の解釈が変わると思うので注視して欲しい。


■主要登場人物
・眞人
小学生くらいの男児。戦中を生き、5-6年前に母を火事で亡くしている。
母が死んだ後のシーンでは、無口・無表情で意思を出さない様子が続いた。
現実で見てはいないのに、母が火に飲まれて死ぬ場面を繰り返し悪夢に見る。
学校の帰り道、学級生と取っ組み合いの喧嘩になり、帰りに自分で自分の頭を石で殴った。
自分の頭を意思で殴ったのは「悪意のある行動 」であり、それが父の気を引きたいのか、勝てなかった学級生を父親を動かして悪い目に合わせたかったのかは分からない。しかし、アオサギにやり返すために弓をつくったりと負けず嫌いで好戦的な性格を感じられるので、恐らく後者だと思う。

自分にはなんでも出来る、なんとかなると思っている所があり、よく言えば豪胆。

・青鷺男
恐らく、エジプト神話ベンヌがモチーフ?
主人公や夏子さんを「あの世」に誘う役であり、覗き魔・嘘つきであり、後に主人公の友達になる男。
池の鯉やカエル、水を操る力がある模様。
アオサギの姿を美しいと自画自賛するが、嘴の中からオッサンの顔が出てくる(アオサギになる時は、アオサギらしくオッサンの顔を丸呑みするような仕草をする)
うっかり風切り7番の羽を落とし、主人公に拾われてしまう。その羽を使った矢羽根で打たれて嘴に穴が開き、力が落ちる。
恐らく死の象徴であり、「友達だけど忘れておいた方がよいもの」

・ヒミ
変な塔の向こう側の世界で会った少女。
夏子の姉であり眞人の産みの母となる人。
多分館のばぁば様が語っていた、「1年くらい居なくなった」時のことだと思われる。
最期は火事で亡くなるが、あの世の世界でも火の魔法が使える人。
恐らく生の象徴だが、作中で一番敵とわらわらを殺している人。

宮崎駿監督作品らしく、強くて凛としたヒロインキャラ

 

・夏子さん

眞人の産みの母の実の妹であり、眞人の父の再婚相手。眞人は「父さんの好きな人」と表現していた。

眞人の父との子を妊娠中。眞人の事を気にかけているが、眞人からの反応は素っ気なく、会話も出来ていなかった。つわりで伏せった際に眞人に会いたいと言ったが眞人は中々来ず、顔を見せたと思ったらすぐ居なくなる。夏子には眞人は、姉への罪悪感を煽り、自分を拒絶する存在として見えていたと思う。

夏子はアオサギに誘われたのか、自らあの塔に進み、塔の向こう側の世界へ進んでしまう。向こう側の世界では、石の産屋に囲われていた。この場面は物語の主舞台が塔の向こう側の世界になる、転換場面になる。

向こう側の世界では、ヒミには元の世界に戻りたくないとこぼしていた様子。自分を拒絶する義息子と帰りの遅い夫とつわりでストレスだったのかも。

眞人が迎えに行った時には「お前なんて大嫌いだ」と叫んでいたが、眞人がなにかハッとした顔をして「母さん、夏子母さん」と叫ぶと泣きそうな顔をして眞人に近寄ろうとしていた。そのシーンでは石の意思により阻まれ、産屋からは出られない。

最終、星が割れるシーンでは自力で産屋から脱出し、若キリコと合流して時の回廊へ向かう。

宮崎駿監督の中では珍しい、強くないように見える女性。

私にとっては、現実の儘ならさの象徴であり、受け止めなければ進めないものに見えた。

 

・眞人の父

軍事関連の工場長(オーナー?)をしている。

作っているのは恐らく戦闘用の飛行機。その為、戦中にしてはかなり羽振りが良い。

妻亡き後、妻の実妹と再婚を決めた。顔が似ているからか、お家柄的な理由があるのかは分からない。

眞人の事も気にかけており、眞人が怪我をした時に学校に文句を言いに行くなど子煩悩な所がある。が、何かあると「夏子がー夏子がー」と話すせいで眞人が拗ねていることに気づいていない様子。

恐らく現実の象徴であり、誤解しやすいもの。

 

・館のばあや、じいや

長く屋敷に使える使用人。

戦中だと言うことを思い出させてくれる反応(食べ物への反応など)をしていて、空気作りしてくれている。

屋敷で起こる不思議な事や、石の塔の昔話も教えてくれるヒント係。

このばあばのうちの一人がキリコさん

 

・キリコ婆(私が勝手に呼んでいる呼称)

館のばあや達の一人。背筋がピンとしていてタバコ好き。

夏子さん捜索の際、うっかり眞人の近くにいたために一緒に塔の中に入る羽目になり、一緒に塔の向こう側の世界に落ちた。

塔の向こう側に落ちた際、眞人とは違う場所・時間軸に落ちたようで、その後の登場では若い姿で登場する。

 

・若キリコ (私が勝手に呼んでいる呼称)

塔の向こう側の世界にいる、キリコさん

眞人を助け、旅立つ準備をさせてくれた。

恐らく、館のばぁばになるキリコさんの産まれる前の存在。もしくは、世界に落ちてきた時に若返ったか。後者かもしれないけどどっちでもいい。ジブリの世界観では同じ魂は同じ名前になることがあるので、今回もおそらくそんな感じ。

塔の向こう側の世界の世界観を教えてくれるヒント係。

時の回廊のシーンではヒミと同じ扉をくぐるので、やっぱり若返った姿なのかもしれない。

眞人を見送る際にあげたキリコ婆人形により、キリコ婆は無事現実世界へ戻る。



■物語構成
ジブリっていつも2重3重の構成になってるらしいんだけど
一層目はシンプルに
継母を受け入れきれない主人公が、変なアオサギにいざなわれて変な塔に入って継母と和解(?)して戻ってくる冒険話
二層目は、
主人公が繰り返し問われる「夏子はお前の何だ」の問いと、大叔父様との話の中で見える世界再構築の話が出て
※主人公の心情変化を考察したら多分見えてくる
多分二層目の所で一般視聴者に向けて、お前ら自分たちが住んでる世界をどうしたいんだ!自分で友達とか大事な存在作って考えてみろよ!
みたいな感じかなーと
で、それがタイトル回収に繋がる…みたいな

三層目は半ば邪推だけど、

宮崎駿監督駿から今回の制作チームや駿さんに影響を受けているアニメ業界の方々に向けて、お前らどうすんだ!?何を描くんだ?この世界をどう見てるんだ?

って問いかけているような気もする。

この時、現実世界=商業主義であるならば、文学作品(理想の世界)であろうとした宮崎駿を継がず、興行収入を求める商業主義になるのか、という創作者としての訴えのようにも思える。

眞人の回答を見るに、宮崎駿監督も理想だけじゃ限界があることはわかっていそう。現実の中で理想を追っていくような事を期待しているのかも。

※塔の向こう側の世界を、宮崎駿監督が作り上げた「宮崎駿の世界」と解釈した私の場合

 

 

最後のシーンで、大叔父様が白い積み石を眞人に継がせようとして眞人が断る時の問答がとても印象的。多分あのやり取りに今回の映画の言いたいことが全部入ってる。

裏切りもあるし汚い悪意のある世界だけど、その中で友人や大切な人を作って自分が決めて生きていくこと、一人一人の決定が世界を創り回していること。それがわかった上で、「君たち」はどう生きるか。

私はどう生きるか。
この文を読むあなたはどう生きるか。
考えずにはいられない。